岡山市南区の歯科医院わたなべ歯科クリニック

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わたなべ歯科の藤本です。訪問診療は私に任せてください!!最後まで口から食べる喜びを。

わたなべ歯科の藤本です。訪問診療は私に任せてください!!最後まで口から食べる喜びを。

往診専門の歯科衛生士の藤本です。

中学校1年の時、自信満々の一風変わったO先生と出会い、英語が好きになりました。
高校3年の時の担任のT先生が、「これからは、企業がブラジルにどんどん出ていく時代だ。ポルトガル語を勉強してはどうか」との言葉を後押しに、将来は通訳になって世界を駆け巡るんだという大きな夢を描き、ポルトガル語を専攻しました。
その矢先に、母が病に倒れました。
大学は何とか卒業したものの、さてどうしよう・・・
迷っているときに、親友のお父さんがうちで働かないかと誘って下さいました。
なんと、その方が歯科医だったのです。
そこの歯科で働きながら学校に通い、晴れて歯科衛生士になりました。
その後結婚をして専業主婦になり、子育てをしながら母の介護を続けました。母は亡くなる前の7年間は、胃ろうをして寝たきりでした。
ずっと母を自宅にて家族で見守り、平成18年に見送りました。

さてこれからどうしよう・・・

母を看取った経験から、介護はできる。歯科衛生士の免許は持っている。
そんな折、歯科衛生士学校の同期である、当医院の歯科衛生士村田さんの紹介でこちらに勤務することになり、現在往診の歯科衛生士として働いています。

入社以来9年間、たくさんの方を訪問しました。
3カ月間、口腔ケアを拒否し続け、口を開けなかったおばあちゃん。
また、作った入れ歯の着脱が難しく、だらだらよだれを流しながらも頑張って練習していたおばあちゃん。
そして固いお菓子と間違えて、入れ歯を飲み込んでしまったおじいちゃん。
それから、自分の入れ歯と人の入れ歯の両方ふたつ口に入れて、涼しい顔をしていたおばあちゃん。
いろいろな方と出会いました。
みんなみんな宝の思い出です。

これからも、おじいちゃんおばあちゃんと泣いたり笑ったりして、一緒に寄り添いながら、最後の最後までお口から美味しいものが食べられるように、学び、努力し続けてまいります。

本当に、「人生において起きる出来事には、すべて無駄はない」を実感し、感謝する毎日です。

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↓↓趣味でトールペイントをしています☆

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わたなべ歯科の豊福です。自身の矯正経験をふまえ、患者様と同じ目線でケアのご提案をさせていただきます。

わたなべ歯科クリニックに勤務している歯科衛生士の豊福茜です。

岡山生まれで、高校卒業後、手に職をつけようと歯科衛生士の専門学校に入学しました。専門学校時代は3年間の勉強に加え、歯科医院実習に も 行きました。

新卒でわたなべ歯科クリニックに就職し1年間は院内にて基本をみっちり学び、2年目の今年からは歯科衛生士の技術向上を目的に半年間、卒後研修グループに入校し、指導者の先生の下で学ばせていただいております。

医院以外に初めて出て感じたことは、院内にいるよりも学ぶことが本当に多いことです。 私は歯科衛生士としての技術はもちろん、人間性の部分では感謝することが大切だと感じました。 働けている環境に、人に、学ぶことができることに、 すべてに感謝の気持ちを持つことだと。 そして、同じ目標を持った歯科衛生士の仲間から刺激を受け、成長のきっかけになっています。

そんな私ですが実体験では 2年間ほど矯正をしておりましたが、現在は矯正装置が外れ、やっと終わった!!という気持ちと共に、いろんな意味で矯正を頑張ってよかったと感じております。 矯正装置が付くことでブラッシングの難しさを身をもって知ることができました。

自分自身で実感した経験も活かして 、 さまざまなお口の環境の方のお一人お一人に合ったブラッシングなどのケア方法をご提案させていただきたいと思います。

勇気を持って歯科医院を受診された患者様に安心して治療を受けてもらえるように努めていきます。

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わたなべ歯科の村田です。歯周病学会認定歯科衛生士として医院のスキルアップに貢献しています。

わたなべ歯科クリニック 歯科衛生士の村田順子です。

早いもので、歯科衛生士の資格を習得して早37年が経ち、時の過ぎゆく早さに自分自身が驚いています。振り返ってみるとさまざまに人に出会い、教えられ、支えてもらいここまで続けてくることができました。

これまで、私は3つの歯科医院に勤務してきました。はじめて歯科衛生士として勤めた歯科医院はアットホームな落ちついた環境のなか、さまざまな経験をさせてもらいました。社会人としての自覚などを学びました。
次に精神科・内科・歯科併設の病院に勤め、尊敬できる歯科衛生士に出会い、職場環境に恵まれたことで歯科衛生士に必要な技術をさらに深く学ぶことができました。
現在の職場では渡辺先生の指導のもと予防歯科や歯周治療の充実した医院作り、さらに患者さんが安心して治療を受けられる知識や技術の習得に取り組んでいます。

その間、結婚・出産・子育て・両親と姑の入院・介護・看取り・・・女性として、妻・母・嫁としてさまざまな経験をしてきました。これまでの貴重な経験が全て財産となっています。

我が家は父が甘党だった為、お菓子がいつも家にありました。そのせいか、子供の頃からたくさん虫歯があり、小さい頃から治療のため歯科医院に通院していました。
かかりつけの歯科医院では常連の“問題児”でした。治療が大嫌いで、大泣きしていつも迷惑をかけていました。

歯科衛生士の道を選んだのは、自分の口腔内に虫歯が多くコンプレックスがあったからです。ですから、子供が生まれた時に「絶対に虫歯にさせたくない」自分と同じ思いはさせたくないと強く思いました。その甲斐があり、現在33歳、31歳となった子供たちに虫歯はありません。

わたなべ歯科に勤務し、早17年が過ぎました。当初は訪問歯科診療に多く携わっていました。
まだ訪問歯科診療の黎明期で、2000年に介護保険が施行され歯科衛生士の活動の場が広がると言われ、そのころから専門的口腔ケアを学び始めました。介護の現場において多職種と協働していくためには、同じ土俵にたち、歯科衛生士が専門職として認知されることが必要だと思い、「口腔ケア」の勉強会に積極的に参加しました。特別養護老人ホームや居宅を訪問し口腔ケアをおこなっていたちょうどその頃、父が脳梗塞で入院し、さらに専門的口腔ケアの必要性や大切さ、口から食べることの大切さを痛感することとなりました。

そんな中、転機がおとずれます。院内に外部講師、上間京子先生をお呼びしての研修会が始まったのです。歯周治療に対する考え方、技術の習得、学び続けることの大切さを教えていただきました。“もっと歯周治療の勉強をしたい”と思ったのもこのころです。初診からメインテナンスまで同じ患者さんを担当し、多くの研修会に参加することで、歯周治療にかかわる新たな知識や技術の習得をしました。患者さんと二人三脚で取り組むことにより歯肉が改善していく事にやりがいを感じ、「ブラッシング時に出血しなくなった」、「グラグラしていた歯が良くなり噛みやすくなった」、などと言って下さることで歯科衛生士としての仕事の醍醐味を感じています。
まさに「継続は力なり」です。
継続することによって経験が蓄積され、その経験がなにものにも代えがたい大きな力となります。

そして、このたび日本歯周病学会認定歯科衛生士の試験に合格することが出来ました。仕事を長く続けることは大変なこともありますが、そのぶん、たくさんの感動に出合うことが出来ます。また、若い衛生士さんの成長を見ることも楽しいです。

振り返ってみると家族はもちろん、渡辺先生や上間先生を始め諸先生方、スタッフ、患者さん、数えきれないほどの素敵な人たちとの出会いがあり、そのおかげで今の私が存在するのだと思います。学ぶ環境とチームワークあるこの素晴らしい医院で仕事が出来ることに感謝しています。
そして、今までの経験を活かしこれからも患者さんに寄り添いながら、大好きな歯科衛生士を続けていきたいと思います。
これからも宜しくお願い致します。

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理事長と阪木医師の対談
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