わたなべ歯科クリニック 歯科衛生士の村田順子です。
早いもので、歯科衛生士の資格を習得して早37年が経ち、時の過ぎゆく早さに自分自身が驚いています。振り返ってみるとさまざまに人に出会い、教えられ、支えてもらいここまで続けてくることができました。
これまで、私は3つの歯科医院に勤務してきました。はじめて歯科衛生士として勤めた歯科医院はアットホームな落ちついた環境のなか、さまざまな経験をさせてもらいました。社会人としての自覚などを学びました。…
次に精神科・内科・歯科併設の病院に勤め、尊敬できる歯科衛生士に出会い、職場環境に恵まれたことで歯科衛生士に必要な技術をさらに深く学ぶことができました。
現在の職場では渡辺先生の指導のもと予防歯科や歯周治療の充実した医院作り、さらに患者さんが安心して治療を受けられる知識や技術の習得に取り組んでいます。
その間、結婚・出産・子育て・両親と姑の入院・介護・看取り・・・女性として、妻・母・嫁としてさまざまな経験をしてきました。これまでの貴重な経験が全て財産となっています。
我が家は父が甘党だった為、お菓子がいつも家にありました。そのせいか、子供の頃からたくさん虫歯があり、小さい頃から治療のため歯科医院に通院していました。
かかりつけの歯科医院では常連の“問題児”でした。治療が大嫌いで、大泣きしていつも迷惑をかけていました。
歯科衛生士の道を選んだのは、自分の口腔内に虫歯が多くコンプレックスがあったからです。ですから、子供が生まれた時に「絶対に虫歯にさせたくない」自分と同じ思いはさせたくないと強く思いました。その甲斐があり、現在33歳、31歳となった子供たちに虫歯はありません。
わたなべ歯科に勤務し、早17年が過ぎました。当初は訪問歯科診療に多く携わっていました。
まだ訪問歯科診療の黎明期で、2000年に介護保険が施行され歯科衛生士の活動の場が広がると言われ、そのころから専門的口腔ケアを学び始めました。介護の現場において多職種と協働していくためには、同じ土俵にたち、歯科衛生士が専門職として認知されることが必要だと思い、「口腔ケア」の勉強会に積極的に参加しました。特別養護老人ホームや居宅を訪問し口腔ケアをおこなっていたちょうどその頃、父が脳梗塞で入院し、さらに専門的口腔ケアの必要性や大切さ、口から食べることの大切さを痛感することとなりました。
そんな中、転機がおとずれます。院内に外部講師、上間京子先生をお呼びしての研修会が始まったのです。歯周治療に対する考え方、技術の習得、学び続けることの大切さを教えていただきました。“もっと歯周治療の勉強をしたい”と思ったのもこのころです。初診からメインテナンスまで同じ患者さんを担当し、多くの研修会に参加することで、歯周治療にかかわる新たな知識や技術の習得をしました。患者さんと二人三脚で取り組むことにより歯肉が改善していく事にやりがいを感じ、「ブラッシング時に出血しなくなった」、「グラグラしていた歯が良くなり噛みやすくなった」、などと言って下さることで歯科衛生士としての仕事の醍醐味を感じています。
まさに「継続は力なり」です。
継続することによって経験が蓄積され、その経験がなにものにも代えがたい大きな力となります。
そして、このたび日本歯周病学会認定歯科衛生士の試験に合格することが出来ました。仕事を長く続けることは大変なこともありますが、そのぶん、たくさんの感動に出合うことが出来ます。また、若い衛生士さんの成長を見ることも楽しいです。
振り返ってみると家族はもちろん、渡辺先生や上間先生を始め諸先生方、スタッフ、患者さん、数えきれないほどの素敵な人たちとの出会いがあり、そのおかげで今の私が存在するのだと思います。学ぶ環境とチームワークあるこの素晴らしい医院で仕事が出来ることに感謝しています。
そして、今までの経験を活かしこれからも患者さんに寄り添いながら、大好きな歯科衛生士を続けていきたいと思います。
これからも宜しくお願い致します。